歌詞について

 熱で朦朧としてるけれど、これだけ一言いわなきゃ…。

 なんて、かっこよく始めたんだけれど、ちょっといままたわかんなくなって来てます。わかんなくなるなら書くなってことですね。すみません…。
 このことを考え出したその出発点は、あの舞台をともに作って行く観客に自分がなれてたら嬉しいな、自分がそういられるにはどうしたらいいだろう、ってことだったんです…。ニフティの会見で福井さんがおっしゃってたみたいな…。それしか考えてないんだけれど…。でも、ちょっと考えすぎて話をややこしくしちゃってるのかもしれない…。
 難しいな。エドガー、どう思う?



 Bat Boyの歌、本当にいろいろ知りたいなあと思って、昨日のコメ欄にも書いた通り、今日の日記に幾つか書き留めたものをアップしてみようかと思ってました。ただ、少し引っかかっていたのが、不正確な歌詞をウェブに載っけていいのかな?ということ。ふと気づくと、私の日記、Bat Boy始まってから凄い勢いでカウンターが回って、昨日見てみたら70000アクセスを超えている。この三週間で15000も増えちゃってます。これにはちょっとぎくっとしました。個人で楽しんでるんですという弁明は、もはや通じないなあって実感です。友達同士で歌詞についていろいろ話すのは問題ないだろうけど、じゃあってそれを日記に上げてよいのかなあって、今更ながら思い出した次第です。やはり、Bat Boyに惚れきったファンでわいわい騒ぎ続ける為にも、歌詞は正式のCD発売まで日記にupするのはがまんしよう、という気分になってます。それまでは細々と記憶を辿り…(笑)。upを待ってくださってた方がいらっしゃったとしたら、本当に申し訳ありません…。
(以下、こんな風に考えるに到った根拠について、ちょっと七面倒くさいこと書きます。「続きを読む」方のみクリックしてください)



 今日一日ざっと調べてみました。
 まず、音楽著作権について素通りはできないJASRACの問題ですが、これについては、Bat Boyの歌詞は現時点でJASRACのデータベースに引っかかりませんし、パンフレットを見てもそこが管理者という風でもないようです。そこで、今は、純粋に訳者の知的所有権の問題として理解することにしようと判断しました。その方がずっと精神的にはクリアです、著作者の心情に寄り添って考えるのを第一義におけばいいわけですから。というのも、JASRACに使用権料を支払うことで、著訳者&実演者の権益が保護されたかのように問題がすり替わるのは腑に落ちないなと、素人考えながらずっと思ってましたので。
 じゃあ、著作者の心情を考えていくと何が問題かってことですが、それは、なんといっても不正確な文言が本人の異図と無関係に一人歩きすることに尽きるだろうと思いました。そこで、冒頭の問題意識に回帰します。
 この場合考慮すべきは、「同一性保持権」というものだそうです。グレーゾーンの多い音楽著作権に関する議論の中で、比較的私の実感に近いものです。安藤和宏著『インターネット音楽著作権Q&A』(リットーミュージック、2003)にはこうあります。「…歌詞を聴き取ってウェブサイトに掲載する場合、……歌詞が単独で使用される場合は言語の著作物として扱われますから、発音と文字が異なる場合、原則としてオリジナルの文字の表現のままで掲載しなければなりません。…聴き取りミスによる誤記も同一性保持権の侵害とされるおそれがあるので、著作権を管理する音楽出版社などから正確な歌詞データをもらって掲載した方がよいでしょう…」(pp.22-23)。なんか利害論めいてますが、つまりは、「言語の著作物」たるオリジナルと異なる形での記述が一人歩きしないよう保護しようというもので、これはよく理解できるなって感じます。私も、自分が書いたものが誤記される、もしくは改編された上でどこかで引用されたら、それはとっても気分が良くない…。
 普段は私、かなりいい加減なんで、私の日記みたいに音楽の専門サイトでもないところ、堅苦しく考えなくていいじゃん、という解釈があり得るのも了解してます。が、未來くんが全霊傾けたこのBat Boyという舞台については、なんか正々堂々と向かい合いたい、という気持ちが日に日に強くなってきちゃって困ります、いえ困らないんですが。それに、DANCE×3で「やる以上は正確にコピーしたい」といっていた未來くんの言葉も思い出したりして…。
 こんなこと、最初から考えておかないといけないのにね、すみません…。どうも最近、いろんなこと後手後手だな。コウモリに理性持ってかれ過ぎ(苦笑)。体の熱を冷ましながら、ついでに冷静にいろいろ考えてみます。人生、とか?(笑)

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