4月4日マチネ(大阪楽)

 
 ※以下、ネタバレ有りです
 
 
 今日(ってもう昨日だけれど)のグレゴールは、今まで見た中で、またまた最もすごい虫で、初めて見る表現が各所にちりばめられてました。
 全く手を用いないで(手は身体の前でカサコソやってる)、「両足同時」に踏み切ってジャンプし、見事一段上のバーを「両足同時」にキャッチされた時には、彼にはホントに複眼が備わってしまったんじゃなかろうか!と思ったし、天井からボタリと落ちて、その反動で体勢を整えてカサコソとテーブルの下に隠れるところなどは、落ちて再度飛び上がった体勢が空中で優雅に静止して(!)、人々が息を飲む時間がカウントできるような磁場が生まれていたし、「ああ、もうそんなになるのか……」の「ああ」が乾いた溜息混じりで、続く暗転で「そうか、これはグレゴールの心の闇なのか…」と思わされてドキッとしたり……。ともかく一昨日見た時よりも、更に一層、極限の領域を広げて自らのハードルを高くしたグレゴールがそこにいました。
 まったくもってすごい男、です。
 
 カーテンコールでは、ずり落ちた眼鏡を取ってのご挨拶でした。
 3回目(?)では、はけ際に大きく手を挙げて歓声に応え、4回目(?)ではその手を軽くヒラヒラと振ってくれました。満足げな笑顔、誇らしい表情が見られて、とてもとても良かった。
 
 同僚たちもいたく感心してました。曰く、人間と虫の間を感情が行き来するその危ういバランスが、アクロバティックになりすぎない彼の身体表現に見事に示されていた。カフカの原作自体がもつ、不確かな自我に対する焦燥……それが「虫」でも有るんだけれど……、その乾いた象徴性が、森山未來の情感的な身体表現によって、現代的な日常に連続して伝わっていた。有り体にいうと、「ひきこもる」「隔離される」存在を連想させるってことですけれどね…。そんなことを、ああでもないこうでもないと、ワインがぶ飲みしながら語り合いました。
 ただ、カフカの原作には大きな影を落とし続けた、巨大な父性(ユダヤ的意味)への激しい嫌悪、そういったものは薄められていたね〜、なんてのも共通の感想で出てました(私も同感)。それが果たして演出のせいなのか、キャスティングの問題なのか、それとも現代社会に「父性への嫌悪」はもはや存在しないのか……。まあそれは意見の分かれるところではありましたが。
 
 ………だめだ。眠い、というかもう落ちます。
 文章支離滅裂かも……書き直しやら追加やらは、また明日に改めて……。