銀座での2〜4回目

 2試合目です。3連続固め打ち。
 毎回ぼろぼろ泣かされて,目がぐったり疲れてしまう。
 実体を伴うリアルなカフカの世界なのに,どうして泣いてしまうのかなあ。「カフカ的状況」とは,感情の起伏が耐性によって麻痺していく状況を示すものでも有るはずなのに。涙などとは無縁の荒涼とした世界であるはずなのに……。
 でも,森山グレゴールが全霊で身体化してみせるあの舞台は,見る人間に大きな感情の増幅をもたらす。荒涼たる状況の対極の、情感に揺さぶられる世界を目の前に提示する。喜悦や落胆や悲哀や皮肉,優しさと残酷さ。それらが、グレゴールがのっしのっしと歩み,音もなく体をかわした時に動く空気と光によって,そして人間の鼓動や呼吸にも似たパーカッションによって大きく増幅し、見る者の中に育っていく……。

 「カフカ」なるものの受容の過程,それすらを考え直してしまいそう。
 あまりにも文学的で身体的な,大きくうねるカフカ
 
 そんなことを考えながらも私の日常は,常套句的な意味での「カフカ的状況」を刻んでいるのが辛い(苦笑)。