『クイックジャパン』86号

 12日、『ネジと紙幣』千秋楽の帰り道にゲットしました。13日まで待たなくても買えた。
 これは、読み応えありました。
 「未来は今」という作品自体が、震災というテーマから始まって、14年間の時間、その中で育った若者の今、土地と人間の結びつき……非常に多層的な内容を含んでいたのを、「伝えること」という一点に絞って切り込み、読み解き、それを改めて「伝え」ようとしたところに、大きな説得力が有りました。プロデューサ−・脚本演出家へのインタビューも良かったです。未來さんに過度におもねらない、彼の等身大の変容を見届けることばは、耳を傾けさせる二十分で…。そっか,彼が番組内で口にした「京田さん」が、つまりプロデューサーさんだったのね…。
 で、やっぱり最後の頁の手書きの原稿……。この消しては書き足し、書き足しては消して、の文字たちの前には、言葉を失ってしまいます。光石さんがどんな風にあの現場を感じたのかも、聞いてみたいと思いました。

 
 伝える側があれば、受け取る側がある。記事の中でも、番組の中でも、「どれだけの人に伝わったか」という問いかけがされているけれど、次に問われるのはその部分なんでしょうね。ただ、この「震災」というテーマ…いや、「震災」に象徴されるある種の普遍的なテーマ…にとっては、「伝える人」と「受け取る人」の垣根は有るべきではないのかも知れないとも思います。「受け取る人」が「伝える人」でもある。それは、番組中でルーシーの堀江店長さんが言っていた、「話さんといかん」という、そのことにも通じるんでしょうね。
 「伝える」は、えてして方向性をともなってしまうものだけれど、「語る」は双方的で同心円的で、かつ自己回帰的でもあって…。神戸大でのイベントの時、客席に向かって、未來さん達は「伝えて欲しい」と呼びかけたと聞いたけれど、それもつまり同じ事なんだろうな…。
 
 この作品から何かを「受け取った」人が、次に「伝える」のは何なのか。
 そのことを考えつつ、来年1月の作品を心して待ちたいと思います。