『acteur』2008-13 改めて

 一昨日、「書けるようなら明日」なんて言ってましたが書かないままです。
 
 彼のことばの中に、あ、と思わされることが色々あって、それで唸っていたのでしたが…。
 幾つか心に残ったことのみ、少し書いておきます。


 森山未來の独自なリズム。それは彼の表現を見ているといつも意識させられることではあって。彼の身体の中には別の拍が脈打っていて、群舞で踊っていてもホントに一秒の何分の一か他の人より遅かったり宙を動く腕が長く高く回転したり…それでも大きな拍では彼の動きが全体の流れを決定する現場には、たびたびでくわしていたので、それについては、うんうんその通り!と…。ただそこに彼が「リズム感」と「調和」ということを問題にするのはおもしろかったです。「リズム感がいい人が調和をとるかと言えば、そうじゃない」(p.57/1段)「(演者と演出家とが)同じ気持ちを共有する意味があるのか悩みますね」(同上)。もちろん木俣さんの構成によるものではあるのだけれど。
 「不用意に同意したくない」(p.57/3段)というのは、不用意な同意が調和に結びつかないということを良く知っているからでしょうね。本当にわかろう、納得したいと思っているからこそそうなる。適当な相づちの積み重ねでは本気の共感は生まれない。これは同感です。私もどっちかというとそうなので。見過ごせないことには黙っていられないたちで結構摩擦の多い人間です…って私のことはどうでもいいですね。
 
 『RENT』稽古場での演出家とのコミュニケーションについての彼のことばにも、蒙を啓かれました。そっか、ことばが通じなくても、そうだねホントに全然大丈夫なんだ。「僕らのエネルギーのやりとりが適切であればいい」(p.57/4段)。彼の確固たる自信は他を納得させるのに十分で。この人は、ことばによる理解も大切にする人だけれど、感覚や身体の共鳴による理解も同じように信じる人なんだな。「リズム感」と「同意」のところにも関係するけれど、本気で理解したいと常に希求しているからなのでしょう。「わかる」という感覚に鋭敏な人…。そして…

 「感性や精神性は成長していくものだから、ぼくはそれを信用していきたい*1」(p.57/4段)。

 このことばです。このことばにただ唸りました。うまく言えないけれど、感性や精神性豊かな若者はかくもがな、です。若き熱情の、希望も喜びも痛みも苦しみも、この人は全部残らず引き受けていくんだろうな…。その生き様が、なんて頼もしいんだろうと思うと同時に、なんて苦しい道のりだろうとも思えて、でもそのようにしかこの人は生きていけないことが明らかなので、ただただ唸るしかない(苦笑)。ただ、それに対して彼が大きな信頼と希望をもち、その道のりを嬉嬉として歩むに違いないことも明らかで、その生き生きとした歩みを思うと、これはまたひたすら眩しいとしか言いようがない。ほんとに参りました。

 『RENT』の稽古場について、「自分の日課に重きを置くのではなくて、みんなに合わせていきたい」というのにも少し驚かされました。自分の日課は崩さないということばが出てきたら、そのままふーんと思っていたかも知れないんだけれど。きっとこの人は、自らの感性・五感を深く信じる人間なんだろうな。信念がなければ、日課を崩すことには不安が先行してしまうかもしれないけれど、この人にそれは無い。習慣や経験(過去)に立脚した日課よりも、新しい出会いと変化、その可能性の方こをを信じる。この人の魂は柔らかいや!頑固に見えるけれど…。私も認識を改めました(笑)。24歳だものね。かくあれかし。
 
 “Mirai is an actor of limitless energy, enthusiasm and ability. ”記事の冒頭に置かれたエリカ・シュミットさんのことば。「リミットが無い」というのはその昔、某番組でも言われていたことだけれど、このうつむいて静かな表情の青年の身体には、際限のないエネルギーと情熱と能力の泉が湧いている。そんなことを真顔で思う秋の夜です。辻本さんのことばに、とーってもうれしくなったり。
 踵に翼をひそませた、音もなく舞い飛び駆け抜けるマーク、柔らかな魂の今がすべて注がれているマークに、早く会いに行きたいです。

*1:原文では「い」を欠く