最悪な人生のためのガイドブック

 ずっと見て来た訳です。とても好きな舞台でした。出演者の実力と個性がぶつかりあって、笑いも涙も憧憬も、なにもかもが楽しく詰まっているような、本当に楽しい舞台でした。
 その中でも、常に感心していたのが、台詞の緻密さです。
 ミュージカル等で、地の台詞がすっ飛ばされたり端折られたりして先に進んで行く感覚をもつことが、時にあるのですが(そんな言う程見てないけど)、この舞台にはそんな印象は殆どなく、言葉を大事に、「話す」ことの意味をみっちりと伝えていた脚本には、心底、感服していました。演じる役者さんの個性が活かされているのはもちろんのこと、その個性に新たな魅力が加味され、それが舞台表現にふくらみを与え、脚本に書かれた世界以上の、未知の背景と前途までも感じさせている。こんな表現ができる舞台ってすごいなあ。そして、自分の構想が立体的にこういう風な完成を見るというのは、脚本家冥利に尽きるだろうなあ、鈴木さん、かっこいい!と、つくづく感動していたのでした…。

 ただ、ただ、一つだけ、ずっと心の中で引っかかり続けていた台詞があります。これは、最後まで喉にささった魚の小骨のように消えなかった(苦笑)。


 最後の最後、トリコとキヨッペがドイッチに語りかける台詞です。
「最後に決めんのは男だかんね」(トリコ)
「どんなに意地っぱりなこと言ってても、女は男を待ってると思う」(キヨッペ)

 んー…、これは必要ないだろ…(苦笑)。


(以下、例によってぐだぐだしてます。)

***
 この舞台は、ジェンダーフリーで人間的な優しさが基調に有ったのは間違いないと思います。既成の男女役割分担なんて論外だったし、性差に基づくバイアスもほとんど登場しなかった。この台詞に到るまでは…。

 特に、トリコが「最後に決めるのは男だ」と言うのはすごく違和感があります。トリコは、そんなこと考えないだろ(笑)。あそこでは、「次はあんたの番だかんね!」って喝を入れれば十分だし、この語り出しは、その直後の「愛なんてないのよ、もっと言えばね、有るのは愛の証だけなのよ。アベコは見せたのよ、……じゃあ、あなたも見せなさいよ!」にうまく繋がると思えない。まるで、ボタンの位置とボタンホールがうまく合ってないみたいに、微妙なずれを残したまま台詞が進行するのが、居心地悪かった。
 それだけでもこっちは些か皮肉な気分になってるところに、畳み掛けるようにこのキヨッペの台詞だから、ちょっとあそこはキツかったです(笑)。ムラさんの「よーし、頑張ろ」がなかったら、ほんとに消化不良な後味だけが残ることになったと思います…。あのムラさんの台詞を導くため、っていうなら、え?ああそうなの?へんなの〜、で済まさないでもないけれど…(そんなハズないから笑)。
 「アベコさんは待ってると思う。いくら意地っ張りなこと言ってても、きっとドイッチの言葉を待ってると思う」じゃだめだったのかな。
 だって、その後、アベコに一生懸命に気持ちを伝えるドイッチは、「男だからここで踏ん張らないと」という気持ちで突き動かされてた風には見えなかった。アベコも、「男」として最後に決めてくれたドイッチにこたえようと、手を握り返した訳では全然なかった。だから、よけいにあの二人の台詞が居心地悪く宙に浮くんです。どうしてあんな一言を入れないといけなかったのかなあ…?わかりません…。えっと、締めに、事柄を一般化する教訓めいた「決め」を入れるというのは、古今東西、大衆芸能の伝統的(歴史的)手法だし、それに乗っかるというのは、私はそんなに嫌いじゃないです。でも、こういう方向での一般化は、このお芝居の基調に合ってないと思うな。だって、全然マッチョな芝居じゃないじゃん。アメリカンな「風と共に去りぬ」でもない(笑)。ちょっと前の松竹新喜劇でもない。軽快でお茶目でチャーミングな人間がたっぷり出てくる、現代らしいピッツァと豆腐でごった煮のお芝居だったんだもの。しきたりも作法もない、自分のルールで楽しめる。それを本当に楽しめた、それだけに、この小骨が気になったのです。


 うん、とっても勝手な感想だな。ま、しかたないか。


 実は、公演の後半になって、あのトリコの台詞が始まるとすぐ、未來さんがそれに耳を傾ける芝居をするようになっていて、それがちょっとハラハラの原因だったりもします(苦笑)*1
 未來さんは、いつもいつも、例えば理想の「女性」を聞かれても*2、人間として惹かれる像といってまんまOKな答えを、一生懸命言葉を選んでしていますよね。女性の魅力としてありきたりの陳腐な答えじゃなく。それは古くは、BOYS TIME再演パンフで、理想の男は?って聞かれ「芯のある男」「ぐっとまん中に一本芯を通すのが必要」「それは男に限ったことじゃないとも思う」なんて答えているのにも通じて、もともと男だから女だからなんて考えから自由で軽やかな、とびっきりチャーミングな人間であるように、思えてならないのです(笑)。
 だから、そんなあの子に、男だからこうせねば、女っていうのはこうこうだからね…みたいな、少し上の世代ががんじがらめになって身動きとれないでいる、そんなまどろっこしい、性差による価値基準なんか押し付けないでねって、祈る気分になりました(笑)。何かに迎合する言い訳にマッチョであることにすがるような「居方」は、未來さんには似合わないもん。そんなもん、偉くもなんともねえんだよ 笑(by オノッチ)。

 
 あ、私、別にフェミニストでもなんでもないです。動物的にオスとメスに違いがあるのは当然で、それぞれがもつとびっきりの性的魅力だって十分承知してて、でも、私が言いたいのはそういうことじゃなくって…。
 つまり、男と女の役割分担は、それぞれのペアが個人的に契約すればいいこと、と思ってるだけです。それは、男と男でも同じだし、女と女でも同じ。男女の恋しか想定しないのがナンセンスな世の中になりつつあること考えると、既存の役割分担に縛られるのがナンセンスなのは自明だろって思うだけ。


 一人の人間としての自分が培って来た感覚を信じて、変な固定観念や他人の尺度から自由に、そんなもの軽々と飛び越えて、キラキラ輝いて行くのが、未來さんにはピッタリと似合う。最近のメッセでも、国と宗教の関係に熱弁を振るう人に少し戸惑い気味に、そうではない、自分にとってより確信の持てる(責任は自分に振りかかる)「宗教=価値観/死生観/道徳観/人生観」を、「それとなく感じていれば…」って言葉に出す…そんな「まっとうさ」にとことんやられちゃうのです、人間力の大きさを感じます。そのチャーミングな人間的個性を、より狭い「男」に押し込んじゃうなんて、もったいないもん。ま、心配はいらないと思ってますけど:笑)。
 既存の価値観に乗っかるという楽な道を取らないでずっと不器用にやってきた、そのままでそのままでいて欲しいなあって…(そんな生き方しんどいだろうな、とは思うのよ、でも…)。それを私は、ずっとずっと応援したい。


 ーーーと、結局まあ、変なとこに落ち着いてしまいました。余計なお世話っていうんだな、こういうの(苦笑)。


【追記】
 コメントを頂き、私自身が考えをごっちゃにしたまま書いている箇所があることに気づきました。少し誤解を招くことになってるように思ったので、簡単に書き添えます。
 うん、私も皆さんと同じく、未來くん自身について心配している訳ではなくって、彼の回りにはいろいろ迫り来るものがあるなあ、と思う、それについて思いが走ったわけです。例えば、彼が心にも思わないことを台詞で言わねばならないことがある、ということなど。
 そもそもの設定があり得ない程現実から乖離してるならいいけれど、あたかも心に迫る台詞であるかのように、「男ってのは…、女ってのは…」なんて言葉を、あの彼が言わされちゃうかもしれない。男女のことでなくてもいい、アナクロステロタイプを、重要な台詞の一つとして吐かされるかもしれない。きっと、彼はそんな言葉も、うんと苦悩しながら見事に言い切るんだろうけれど、それは心配しないけれど、そういうもやもやとした、無形のものが彼の回りに侵入し来る可能性みたいなものに、ふと気づいて胸がちょっと痛くなった感じがした。小骨を取ろうとしたらそんな穴に落っこちた(苦笑)。
 ほんまに、よけいなことですね。彼は、きっと元気一杯に一人で闘って行くと思う。時々かっかして、たいていはニコニコして…。うん。ね。
 

*1:ま、芝居だけれど:笑

*2:聞く方がどうかしてる