表参道撮影とは

今日はなんかわかりませんが、朝から3ー8ー魂に火がついたちゃってます。何か10年前に引き戻されてる気分です*1。ここにいる私は、もしかすると10年前のお気楽mmooh卵かもしれません。完璧壊れてますが、許してね、卵だし。まだまだ生まれません。台湾から書いて出す話でもないと自嘲しつつ、もう、行っちゃいます!


何の気なしに、ほんとフラフラとたどり着いたブログで、本日(15日)、みーくんが「表参道で撮影をしていた」という記事が…で、可愛かったって…(そりゃ可愛かろう)*2
あの、表参道って、とっても人の多いところですよね、私両手で数えられるくらいしか生涯で行ったこと有りませんが、なんかおっしゃれーなとこですよねえ。そこで、いったいなんの撮影をされていたのでせうか??津和野や江差や木更津や荒川河川敷(かな?)ではないのですね??そんな場所なら、制服ではなかったでしょう…ね…?
そりゃ、撮影くらいするだろうさ、という話なんですが、今日ですよ、今日。いや、今日もするだろうさ、という話なんですが、いやね、つまり「さっき」の範疇なわけです。この私がいまぐーたら夕食を食べようか、としている時間帯にですよ、同様に仕事を終えてるかまだ何か撮ってるか家路に就いてるかしりませんが、ともかく同様の時間が(あ、時差1時間:笑)流れているのだぞということに、思い至る訳じゃないですか。「今日の仕事」なんてものの存在を、数日遅れ数ヶ月遅れじゃなくって、同じ「今日」に知る訳じゃないですか。
普段は、数日、数ヶ月、一年、甚だしくは数年前の映像をうっとり眺めるわけですよ、わたしゃ。ライブだの舞台だのってのは別にしてね。ええ、もう時空を超えてます。それはホントに甘美な世界…。で、この舞台っていうのはちゃんとした約束が成立する世界だから、こちらもあちらもその同じ約束の中にいるわけです。そういう意味じゃ、舞台を見るのは眼前の出来事でも、現実世界は拘束されるんです。やっぱ時空を超えちゃえます。

ところが、「さっきなんか仕事してたんだってよ」ということになると、刻一刻更新される通常の時間軸に一気に移動です。「行人」未來ですよ。スタスタ歩いてるわけです。舞台の袖に消えるんじゃなく、行く先があって、改札に消えるんです*3。で、多分途中で見失うんです。それを意識(想像ですが)するわけです。
まってー、行かないでー(涙)。寛一お宮の世界です(金色夜叉:古典、古典)

これが動揺せずしてなんとしょう!!!

*1:レスリーのせいだよ

*2:ブログ主さんも遭遇できず地団駄情報でした

*3:比喩です