FM79.7ラジオカフェ

 昨夜の放送、「その街のこども」井上監督のインタビュー。
 録音できなかったので記憶曖昧だけれど、印象に残ったところだけ簡単に書いておきます。未來氏のことを、「新しい4人目のスタッフ」と言う井上さんのことばが印象的だったです。
 

  1. ドラマ「その街のこども」は、3年近く、2年半ほど前から、先ずドラマを作るということで企画が立ち上がった。それは震災でお母さんを亡くされた当時のNHK大阪プロデューサーの強い気持ちから始まった。
  2. ドキュメンタリーでは取りこぼされてしまう何か*1を、ドラマなら表現できる場合が有る。
  3. そこで集まったのが、ドラマを普段の仕事としている井上と、ドキュメンタリー畑の京田(神戸出身)。ドラマといっても「劇」はやりたくない。そして、渡辺あやさんにオファーをした。三人で、あーでもないこーでもないと語り合っていた時間がとても長い。実際に撮影に取りかかる1年前くらいからずっとで、その期間がほんとに長かった*2
  4. 再現ドラマからは遠いものにしたい。それにはどうすれば良いか、模索し続けた。
  5. 続く井上さんのことばが印象的だった。「そこへ、4人目の新しいスタッフが……スタッフと言ってもキャストなんですが、森山未來くんが参入して……」。
  6. 4人でまた、あーだこーだと延々と議論した。あやさんは、震災に憑きものの「まとめのフレーズ」は使いたくない。「震災の傷はまだ癒えてはいない」等々で収めたくはない。
  7. 「こども」にこだわったのは、大人の事情は当時はしらない、15年経って知ることもわからないこともある。その差(落差?)については、ずっと考え続けた。
  8. 森山未來佐藤江梨子ちゃんに出会えたことは本当に大きい。彼ら自身が、あの震災を報道する映像、炎や煙の下にいた人達なんだから。その彼らがこうやって演じたり表現したりしている、そのこと自身が奇跡だ、と。

 駆け足ですが、こんな感じかな……。15分あっという間の放送でした。後編は来週。また思い出したら追記するかも。

*1:心とか真髄とか、そういうものと聞きながら理解したけれど、そんな言葉を使われたかどうかはわかりません

*2:撮影に取りかかったのは2009年11月で…という言葉がどこかに入ったので、つまり2008年11月。2009年「未来は今」よりも2〜3ヶ月早い段階から「ドラマ」の話は出てたってことですね。「未来は今」の時に、“ほんとはドラマで、という話だったんだけれど3日間でそれは無理で”と彼が行ってた背景はこれか、と聞きながら思いました。