タンゴ劇評@朝日新聞(関東版)夕刊

 今日から3日間、出張で関東圏に来ています。だのに、仕事の日程とビッチリ重なって渋谷に行けないなんて(涙)。いや、もしかしたら、明日うーんとおとなしく鳴りを潜めていたら、もしかしたら夜ギリギリ渋谷に駆けつけられるかも……当日券、あるかな、立ち見かな。それよりも、おとなしく鳴りを潜めていられるかな(苦笑)。
 で、仕事が終わってホテル最寄りの横浜駅に到着、ふと見た桐ちゃん部屋で、今日の朝日夕刊に扇田昭彦さんの劇評が載るとの情報!ありがとー!買えましたよ!駅前で。厳戒態勢の警官さんも振り返る勢いで走っちゃいました。良かった、関東圏は駅のキオスク遅くまでやってて!(笑)
 扇田さんは、初日に劇場でお見かけしました。翻訳家の松岡和子さんと並んで座っておられました。いつか劇評が載るだろうな、と楽しみにしていました。
 
 やはり。という感じの劇評です(笑)。いや、とても高評価で、理路整然。納得いく劇評ですよ。うん。
 論調の基本は、体制や多様なクラスの集団、さらに主義主張へのメタファとして家族を捉え、その原作の持つ体制批判の精神が、長塚演出の新鮮さ活きの良さ、さらに実力派演技陣によって見事によみがえった、と議論を導くもの(要約 by mmooh)。出演者の中からは、未來さんのみが名指しで取り上げられています。
 でもね、ちょっとやっぱり苦笑いもするわけですよ。よーしわかった。そう解釈するなら乗っても良いや、乗ってやろうじゃないのってね(笑)。但し、比喩については一々反論から始めます(笑)。まず、エーデックは絶対にそれじゃないと思うなあ〜。そして父子関係も、世代間断絶の単純な比喩じゃないはず、それならメタファ(隠喩)じゃないもん、直喩だよ、ちょっと揚げ足(笑)。
 ……と乗ってはみてわかるとおり、実は、こんな議論は実際の舞台を観た後だと、遊戯的に過ぎる気がどうしてもしてしまうわけです。いやはや、舞台の熱さはもっと激しく観客を置き去りにする。空っぽの舞台空間だけを後に残して何もかもかっさらっていく。それを目の当たりにすると、この舞台が支配する時間と空間、それが観客の心に支配する問題提起が何らかの形を取るのはもう少し先のことなのかもしれない、とすら思う、のです…。
 もしかすると、現代における舞台芸術の存在理由、そこへの問題提起をも、長塚圭史は企んでいるのかもしれない。
 そして、自らがいかに存在するかについて、朝の4時まで長塚さんと議論したという未來さん、あなたはどう?
 
 あ、そうそう、写真!
 パパさんの吉田鋼太郎さんとアルトゥルですが、まさかのあの場面!いえ、ステキな写真ですよ〜でもどの場面かと考えてみたら、ちょっと微笑ましいです(笑)。2人の束の間の蜜月ですね……。