『Quick Japan』vol.87(2009,12)改めて

 目次ラインナップページから167ページに飛びます。
 ワイシャツ姿で腕を組んだ青年が、静かな眼差しで、こちらを真っ直ぐに見ています。
 最初、その姿を見た時、あれ?作家みたい……と思いました。なんというのかな、役者森山未來、には見えなかった。私の乏しい想像力はそれを、新進作家がインタビューを受けている、そんな印象に結びつけたのかもしれないんだけれど、中身を読んでなんとなくその答えがわかりました。つまり、このインタビューは、いつスタートやカットがかかるのかわからない、NHKのドキュメンタリー専門カメラマンが撮影する「その街のこども」の撮影現場で、「現場に入った時点で常に中田勇治でいよう」としていた、その時間の延長線上で行われたものだったということ……。
 この静かに腕を組んでいる見覚えのない青年は、設計士中田勇治だったんですね。

 その、未知の青年、神戸で震災を経験していて今は東京で設計士として働く中田勇治が、一昨年から去年の「未来は今」へ至る道程を、話し始める……。徐々に、中田勇治がモリヤマミライに融けていくような、そんなインタビューが始まります。

 

 
 彼自身の口で語られる撮影3日間の心の動きは、とても読み応えがあって…。
 石本さんのお宅へ向かう道中から心に立っていた小さな波、そして撮影終盤に起きた「カメラの外」が彼の内面に闖入する事件へ……。カメラの外と内、さらにその向こうにある「伝える」相手、三すくみの中で揺さぶられる心が、誠実に語られます。
 そして翌日の伍芳さんとのインタビューについて。あの伍芳さんの、端々に暖かさの籠もる言葉たちには私も大きく感銘を受けたんでしたが、その前後にどんな言葉があり、そしてそれらの言葉が、どういう彼の告白から始まっていたのか……。改めて、伍芳さんに彼がインタビューしてくれて良かった、と思いました。彼が伍芳さんに心を打ち明けてくれて良かった、と…。演奏の後、山から海を眺めていた彼が振り向いた瞬間、小さくコクンと頷いた、その映像の意味が始めてわかりました。
 でも、3日目、心のもやが晴れた後も、スタジオで彼は苦闘を続けないではいられない。いや、「伝える」ことへの迷いが消えたその時に彼の前に立ちはだかったのは、何をどう伝えるかという最後の難関……。手を抜かず長時間闘い続ける彼と、それを一歩も引かずに待ち続けるスタッフ。緊迫した濃密な時間。流れ作業な現場では到底完成にこぎ着けられなかったことが、ひしひしと伝わります。
 
 最後の「謎」。取材者の浅野智哉さんが言われるのは、その一つの謎解きでしょうね。このインタビューを終えて、浅野さんが、14年間一度も訪れることができなかった東遊園地の慰霊モニュメントに足を運ぶことになったのは、その解の一つの現れだと思う。そして、他の人にとっては別の解に結びついたかも知れないとも思います。
 「伝える」ということ、「伝わる」ということはそういうことなのでしょう。彼にとって説明不能の「一言」は、彼の内部で完結しなかったが故に、「伝わる」ことばとして外に向かって動き出したんだと思います。自分のこころの言葉の先に、自分では制御不能の言葉が伝わっていく……。彼が、その一言を今も「謎」と思い続けてくれることが、逆にその言葉の衰えない力を感じさせて頼もしいです。浅野さんが「逆説的」と称しておられるのも、そういうことなのかもしれません。
 
 彼が苦闘し続けた3日間。短くはあっても最後の言葉をひたすら模索し続ける時間……。NHK、それも、14年間このテーマに向き合い続けてきたNHK大阪でなければ、待つことはできなかったかも知れません。一切妥協をしないこのモリヤマミライを信じ続けたスタッフさんと、それに見事に応えたモリヤマミライと。震災14年目にこの両者が本当の意味で出会ってくれたことに、ただただ感謝です。
 そして、この両者が再びタッグを組んで作り上げる「その街のこども」。
 どのような新しい扉を開くのか……。怖くもあるけれど、その先にどんな未来への展望を見せてくれるのか、その期待の方が大きいです。
 心して、待ちたいと思います。
クイック・ジャパン87