印獣@シアタードラマシティ

 改めまして。
 帰宅して、遅い夕食をすませ、ようやくMacに向かっています。
 いやあ、盛りだくさんの一日だった〜。今朝は5時まで仕事をして、その後仮眠を取って8時に起きて仕事再開、昼頃に職場にでかけ、延々と5時過ぎまで会議会議会議の三連ちゃん。大急ぎで電車に飛び乗り、印獣にはギリギリ滑り込みって感じです。でも、山内さんの罰ゲームが見られて、ホントに癒されました〜〜〜(下のエントリー写真参照♪)。
 電車に乗る前は、かなーり疲れてたので、劇場に来るのへこたれそうになってたんだけれど、単純明快に「来て良かった〜!!」ってテンションが上がったもの。うん、こういう分かり易い自己の心理変化をまざまざと感じるのって、すごく気持ちいいですね〜!
 
 さて「印獣」。
 以下、ネタバレ含みますので、畳みます。
 
 そうだ。客席に、というかロビーでも前説の山内さんを遠巻きに、逆木さん、じゅんさん、聖子さん、がおられましたよ〜。そして多分アクションクラブの武田さんも……。皆さん、マスクをしておられたのでお顔はあまりよくわかりませんでしたが、いやあ、醸し出るものがありました♪ 発酵よ〜!

 



20日朝追記】ヘロヘロで半分寝ながら書いてたせいか、文章意味不明の箇所が幾つかあったので、少々手を入れました。「??」一杯にさせてすみません……といっても依然としてあんまりよくわからないのですが(苦笑)。 
 
  
 見る前から、ホラーって意識は持ってたんだけれど、分かり易いホラー以上に、平静である人間の方にむしろ怖さを感じる……そんな舞台でした。いや〜つまり全部が怖いんだ(汗)。
 でも、最後のクライマックス。
 登場人物はすべて舞台上に並び、さらに人形までもが二体存在し、食い散らかしたジャンクフードの残骸やらが散乱する物語の「場」。時間軸を超えて登場人物の裏も表も、が、存在しているという、ある種ぬぐいようのない違和感がじわりと広がって、その後に展開するホラーシーンのリアリティを支えている……。その、積み重なってもつれ合った歴史の中で、殺戮を行う二人(飛龍&児島)が共に口にする言葉があまりにも軽い。「訳がわからなくなって」。言葉通りにそれを考えるなら、狂っていくことの象徴のようでもあるんだけれど、たぶんそれだけじゃない。「訳がわからなくなった」というのは謂わば敗者の弁ですよ。敗者であることの表明。徹底的に「自己否定」する言葉。自らを否定する代わりに何らかの免罪符を獲得する、半ば「取引」の弁でも有ります。それに対する筆者の視線は「自嘲」に近い……。だって、最初から「訳がわからない」などの「降伏宣言」から始まってるんだもの。でも、その「報い」はあまりにも直接的で問答無用。これが実は相当恐い。で、かなり文学的でもある。
 
 さて、途中冒頭近くで、成志さんがドストエフスキー*1と太宰を例に、「いやいや書く」「書きたくないことも書く」行為中に優れた作品が生まれることを指摘し、暗に「純文学」の無責任を批判する……のようなくだりがありましたが、いやいや、これはかなり鋭い指摘ですよね。同じような文学主張を、私たちはわりと近い歴史の中に経験してますが、これをクドカンさんが自分の内発的言辞として書いたのだとしたら、この主張がもつ一種の普遍性を認める、とても面白い思考様式だと感じましたよ。
 演劇的手法をとりながらも、文学と演劇を橋渡しをする装置に溢れた舞台だったとも思いました。いや、よくわかりませんが。

*1:コメント欄で指摘してもらいました。太宰『人間失格』と並列されてたのは、小林多喜二蟹工船』でした〜。ドストエフスキーは、その前の場面で、ふるたさんが「名前が言えない」設定で演じておられたんでした♪