『未来は今』@NHK総合

 結局、リアルタイムで見てしまいました。起きてられないだろうなあと思ってたけれど、見始めたら不思議と眠気は襲わなかった。その代わり、見終わって1分後には眠りの中でしたが…。

 関西での3月の放送時、いったいこれがどういう番組なのか、どこに落ち着くのか、皆目分からないまま金縛りのように画面に釘付けになっていた時と、随分違う目で見ることができました。この番組のそもそもの発端を、神戸大のシンポジウムで彼自身が語るのを、人づてではあるけれど聞いたりしたし、私自身も何度か見直したりして整理されてきたせいも有るでしょうね。いろんなことがストンと収まって、この番組だけに右往左往せず、終始前向きに見続けることができたようです。
 
 3月に見た時、自分の身体で獲得したラストの言葉を彼が口にした、その直後の表情を「般若の形相」とかなんとか書いた記憶が有ります。
 その時は、ほんとにそう思ったなあ…。内面からゴーゴーと何かが燃えてるように感じた。「これが俺にとっての今」だ!と全霊で立ってみせた、そんな覚悟の表情が「般若」に見えたんだろうと思う。刻々と進む番組の流れと共に彼がいったいどのような言葉を口にするのか、何を言うのか、息を殺して手にぐっしょり汗をかいて般若の形相になっていたのは、私自身だったのかもしれない。
 いま、改めてその部分を見てみると、般若には見えなかったです(苦笑)。ただ、ずっと下を向いていた彼が顔を上げて、恐らくその場にいた人達を見たのかな…その時の表情は、やはり、覚悟の決まった、挑むような、見事な顔だったです。あの最後の言葉への責任は、全部俺が背負ってやると言わんばかりの、良い、とても良い目だった。
 
 「あの日を忘れてはならない」と言えなかった(言ったかも知れないけれど自分のことばにできなかった)のは、実は2008年1月に放送された特別番組でのできごとであったことを、今の私たちは知っている。つまり、その時の思いを一年掛けて(実際には3日間だったかもしれないけれど)、彼が克服して、そのメッセージを個人的体験から普遍化する、その一連の道程が番組に命を吹き込んだ…。それを知って見直した今回は、彼が出会い語るすべてのことが、確かに彼の中にしみ込んで実を結んでいくその過程を、より静かに感じることができた。
 まず何よりも、彼が言葉を取り戻すのに、一人で格闘して自己解決したものではないことがよくわかった。
 石本さんの過去と今のすべてに敬意を払い、
 伍芳さんの強さに素直に甘えて逆に励ましてもらい、
 そんな風に、人との出会いに真正面から身を投じて、どっぷり全身でその人がまとう空気や声を吸収している姿がそこにあった。それだからこそ、彼のこの道程が、同じ若者の共感を呼び、震災から14年経った「今」に向き合う取り組みへの、新たな扉を開けることができたんだなあ……。それを強く思いました。
 
 震災を体験したわけではない、体験したけれど被害は受けていない、けれども未来に責任を負っていかねばならない、そういう若者のすべてに、この番組はメッセージを届けようとしている…。それぞれの未来に、すべての未来に通じることばを発している、それがよくわかった。
 震災をテーマに扱いながらも、すべての未来に通じるメッセージ。それを真剣に考えた末に生み出された作品。
 震災の記録から、次の未来に踏み出すメルクマールになる、これは相当に意味深い作品だと思う。震災の記憶とずっと向き合ってきた、NHK大阪にしかできなかった仕事であるのは間違いない。その中心に、その切っ掛けに、その始まりに、未來さんがいたということ、NHK大阪の今後を見ていく中でも、ずっと忘れないでおこうと思う。

 番組の最後に、「リエゾン被災人」のインフォメーションが流れました。「未来は今」後の、最初の形有る取り組み*1、今後に注目していきたいです。
 http://www.nhk.or.jp/hisaito/
 

*1:神大のシンポは「未来は今」から次への橋渡しと考えて…ですが。