『未来は今』@NHKその後

 1日の内何度かは、やはりまだあの番組のことを思い出します。少しづつ冷静になりながらではありますが…。
 放送直後とその翌日強く感じていたのは、あの番組で彼がまざまざと伝え示してみせた「時間」のことでした。神戸に繋がる人達それぞれに,どれだけ大事な時間が流れたか…。それを様々に考えさせられました。それは番組の中に象徴的に表れる「時」のモチーフにも表れていたように思います。
 その後、数日経って、皆さんからいただいたコメントなどを読み返して徐々に強く思いつつあるのは、彼の格闘する姿から私たちは、確かに「語ることの大切さ」を学んだんだなあ,ということです…。
 いままでどんな風に語ればよいかのか、自分の記憶をどのように言語化すればよいのか自信が持てなかった、そのような誰もが抱える想いに,「語る」きっかけを彼の姿は間違いなく与えてくれたように思います。
 地震のことだけではないでしょうね。自分の身近にある辛いこと悲しいこと。自らの中に引き受けて心の中に噛みしめるだけだったこと。そのようなことも、語ることができる。雄弁でなくても数語でも一言でも、人間はそれを口にしてもいい…。
 彼が、ある言葉を口にすることをためらって拒み、
 けれども、何かを語らねばならないと知り、
 そこで何を語るのかに苦悩し、
 最後に紛れもない自分の言葉を選びとった…
 
 その姿を通して、「語ること」「言葉を選び取ること」の大切さを、深く学んだ気がします。


 ありがとう。もりやまみらい。