『オレステス』10/15@シアタードラマシティ

オレステス、行ってきました。
むちゃくちゃおもしろいやん!!
ずっとニヤニヤ笑いっぱなしでした。おかしいよ〜。これ、喜劇?


いろいろ、不安材料は耳に入っていて、最近寝不足だしなあ、なんておっかなびっくりだったのですが、いやあ、ほんまに楽しめました。いやね、世界のニナガワさんの演出意図とはかな〜り外れたところで楽しんじゃった自覚がありますが、まあ楽しんでなんぼのもんですんで、これでよし!ってことで自己満足です。
昔から、ニナガワさんの笑いは、素性が我々関西人とは違うな、とは思ってたんです。いや、ニナガワさんは笑いを狙ってはおられないと思うんですよ、すみません(苦笑)。でも、ここ笑うとこやろ!ってところで笑いが無くって、何だかひたすらリアルにシリアスに舞台が進行、というイメージがあって…。まあ、それが逆におかしいんですが(笑)。
天保十二年のシェイクスピア』も、ニナガワ版と新感線版を二つ見ましたが*1、隙あらば笑い飛ばそう☆という新感線のノリとは明らかに違う世界が、ニナガワ版にはありました。なんだろう、心して等身大に近づけようとする、のかな?いや、ニナガワさんの演出って、演出効果とは裏腹に、ご本人が狙っておられるのはかなり卑近な世界なんじゃないかと密かに思ったりするんです。あのお方、実はとーんでもないリアリストではないかと時々チラリと思う(苦笑)。違ってますよね、ごめんなさい。私がそう思うだけですんで(笑)。


脱線しました。『オレステス』でした。



以下、ほんの少しのネタバレと、長いので畳みます(いつも畳んでばっかですみません)。あと、ニナガワさんの大ファンの方は、読むとちょいと面白くないかもしれません(汗)。ご注意ください。






結論から先に行くと、私は、終始笑いっぱなしでした(笑)。不謹慎ですかね。
もちろん、身をよじって悲劇の雨に全身濡れそぼち、血管が破裂せんばかりに身体を上気させるオレステスエレクトラ、涙をほとぼらせ、汗やよだれを垂れ流して声も枯らして叫び通す、悲劇の姉弟の精魂傾けた演技は、見事としか言いようがない。圧巻です。さすがに前半は息を呑んでました。
これは、何か憑依してるんだな、舞台の神様やらニナガワ様やら…。そういう意味でじっくり観察いたしました。ほとほと感心した。


でもね、この芝居を通してズンズンと私が感じたのは、悲劇ならぬ「喜劇性」なんです。何とも言えずおかしいの(苦笑)。

コロスが、手に手を携えて悲劇の救いのなさを嘆き悲しみ、天を仰いで「ああ、なんと言ったらいいのかわからない〜!」と嗚咽する場面で、最初の笑いが来ました。わからんのかい!こんなに饒舌に語り通しておきながら、比喩の一つも言えるやろ〜。ギャグならおかしいのに、そうじゃないんです、どうやら笑う所じゃないみたいです(苦笑)。
その後、メネラオスの逃げ口上で笑いの第二波。ああ、人間って滑稽だよ…こんな見え見えの逃げ口上ったら無いよ! オレステスがマントに取りすがった所で喝采しました。よくやった、もっと食らいつけ!ずっと離れるな、ひっつかまって階段ズルズルそのまま上がっちゃえ!でも二回くらい取りすがっておしまいでした…。すみません、ほんま不謹慎。でも、これ、喜劇ですよね。シチュエーションは悲劇でも、台詞のもっていきかたからハデハデの甲冑に身を固めた出で立ちといい、もうこれはお決まりの「オチ」を予感させるに十分で…。
それ以外にも、ほんとに台詞の受け答えに「それはないやろ!」って返しが多くて、役者さんが大まじめなのがホントに不思議だったです。客席の方がまだ笑ってました。


さて、待ちに待ったピュラデスの登場です。よっ!
しかししかししかし…、うーん、ニナガワさん、明らかにピュラデス周りの演出、手薄ですよ〜、愛情足りないよ〜。
各所で、北村さんの演技への物足りなさをチラリと耳にしていましたが、それ違いますよね。演出のバランスが悪いんであって、北村さんはとても見事に演じておられます(すみません、何様発言で)。
だいたい、悲痛の極限のオレステスエレクトラ二人の悶絶に、ピュラデスがノコノコ加わって、地の底に呪詛を投げかける、その動機が、滑稽劇ならいざ知らず、そうじゃないというなら、この演出では伝わってこない。私みたいなひねくれ者が見たら、ピュラデスが声を絞り地を叩くたびに、何とも言えない苦笑いが起きてしまい…。苦笑しながら、この人って、ホントはオレステスを巡って、エレクトラと三角関係にも擬えられる重要人物なんだよね…って、イメージを自分で付加してました。
オレステスエレクトラ姉弟相姦関係、これはうまく現れていました。現れすぎなくらい(笑)。でも…、オレステスとピュラデスの同性愛に近い情念、これが伝わらないんです。友情は伝わる、でもそれじゃ弱い。一緒に神を呪う涙の所以が見えてこない、伝わらない。それは演出不足だ!と思うわけです。このニナガワ版だと、ピュラデスは単なるお人好しになっちゃってます。おまけに最後はデウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)でしょう…。役者さんも、もしかしたら、そのバランスの悪さを感じておられるんじゃないかな?勝手な感想ですが、そんな気がした…。
だから、ピュラデスの復讐の提案に、すんなり「聞かせてくれ!」って乗っかるオレステスもにも思わず吹き出した。…てなわけで、後半は私、実はずっと顔だけで笑いをかみ殺すのに苦労した。だめだ、おかしいよ(笑)。


そうそう、デウス・エクス・マキナは、違和感なかったです。さんざんこき下ろされたアポロンも、最後に本領発揮!ざまあみろ♪
これも喜劇的です。全編覆う喜劇の色彩(私が勝手に感じてるんだけど)に、ものの見事に合致する。人間って現金だわ。頼もしいや!ギリシャらしい人間礼賛です。自分が救われるとなれば「あなたのご託宣はやはり正しかった!」ですもん。ヘレナに至っては、結局、山のような罪と恨みを背負ったまま、美しいが故に永遠の命を与えられ、神の世界の住人になってしまうし…。すごいよ、万能の神、参りました!あんたには勝てません。
だから、舞台の下でアポロンを見上げながら、メネラオスが悔しそうに「チッ」って舌打ちしたのにびっくりして、またまたそれを見て、一人大受けでした…。何これ、このご託宣は審判の場でもあったわけ?判定に負けたから舌打ちするの?いやいや、それは違うでしょう。審判も何も寄せ付けない絶対神が君臨し、何もかもなぎ倒す。ギリシャの「自由意志」だの「市民」だの「多数決」だの「投票」だの、原始民主主義の箱庭的な空間に、問答無用の神が降臨して、同時に存在してせめぎ合うからおもしろいんじゃない(笑)。「神の存在」が「審判の価値」にシフトしていくのは、まだまだ400年も後のことでしょうに……。
あ、でもここで舌打ちするから人間くさいのかな。そんな気もしてきた(笑)。


ここまではでも、笑って楽しく見てこれたのですが、クライマックスのビラ。これは、無しですよねえ。
やっぱりニナガワさん、まじめなリアリストだ、そう私が思うのも責められないですぜ(苦笑)。ギリシャ悲劇を現代に演じることの意味を、等身大の意味に引き移そうとされたのでしょうが…。
「ラストシーンにはこだわりたい、めでたしめでたしでは終われない」と言っておられた(@パンフレット)その結果ですもんね、厳粛に受け止めたいと思うのですが、またまた生意気を言いますと、あのデウス・エクス・マキナを、「めでたしめでたし」と既定する必要もなかったのでは、とちらりと思ったのです。
だって、あの神の声は、終結を告げた訳じゃない、神話の一過程で交通整理をしたに過ぎない。後の物語はまだまだ人々に神々に、すべてがゆだねられっぱなしです。ギリシャの近親憎悪、そして神々への反抗と恭順と共存の歴史は、まだまだ続くわけですもん。


すみません。一回しか見てないのに好き放題言いました(苦笑)。


でもでも、北村さんは、とてもかっこよかったです。私は、グレコ殿より好きだったくらい。この芝居の泥沼から、一歩距離を保っておられる感じのスタンスが、喜劇役者としての北村さんの資質を感じさせました。いやあ、あなたが正しいよ!(苦笑)


【追記】役者さんの発声で気になったこと。


この舞台ですごく耳に引っかかったことがあります。役者さんの発声です。
特に、吉田鋼太郎さんと藤原くんとで強く感じました。文末の「ア」段の発音です。文中は気にならないのですが、「〜は」「〜が」「〜ならば」etc.…このような文末の「ア」段音が、[a]じゃないんです。[ə]で、唇を横に意識的に引く、そういう発音。これが、ニナガワ流の発音なんだろうか。すごく耳についた。
この発音をしていない北村さん、まっすぐ大きな口で「〜ではないかああ[a]〜」と発声しておられるのが、とても気持ちよかったです。

 
余談でした。

*1:新感線はDVDで。