達・憲・祐(17)最終回ーー毛布とワンタンメン

 ギリギリです。ひどいです。
 本当はもう少し練りたかったのですが、もうだめだ。
 強引に泣きそうになりながらここまで来て、だいたい、あのエドガーのアレやコレやが始動しているのを目にして、こんな妄想に関わってる訳にはいかんだろう!(涙)と、相当本気で延期しようかと思ったのですが、年頭の抱負、まだ半月も経たないうちに破るわけにはいきません。むちゃくちゃですが、取りあえずupします。ごめんなさい。
 ああ、ちょうど14ヶ月かかってしまいました。こんなに時間がかかるとは夢にも思わなかった。それだけ、未來さんの邁進ぶりが加速に加速を重ね、何もかもがすごい勢いで進化して行った2005年だったってことでしょうか。置いて行かれないようにするのでほんと精一杯でした。
 たぶん、もう少ししたら手を入れて校正します。体例も全体を整えると思います。書き残した事が有るので、それも何とかして形にしたいと思います…。
 でもでも、ともかく、いまはこれで限界だわ。ひええ、ごめんなさい(号泣)。

  • 【業務連絡】えっと、(1)〜(16)は、既に格納庫に保存済みです。この格納庫、古いのはお使いにならないでください。このページのリンク欄にリンクを貼ってますので、そこから跳んでいただきますよう…)


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(17)最終回ー毛布とワンタンめんー

「どこ行くの?買い物なら付き合ってやるよ。そうだ、俺もシャンプー買わなきゃ行けなかった。よし、一緒に行こう!あのさ、達ちゃんのシャンプー、くせえんだよ、絶対、鼻おかしいよ薬臭いのばっか使いたがっちゃうんだもんな。祐、お前も気をつけろよ。うっかり使うとむせちゃ…」


「……マフラー、忘れたんだ」
 はしゃぎ気味に捲し立てる憲のことばが終わるのを待たず、祐はぽつりと言った。
「どこにだよー、まさか、さっきんとこ?やだよ、また戻んの、かっこ良く出て来たばかりなのにぃ。…まあ、しょうがねえか、じゃ、お前はここにいろよ、俺がひとっ走り戻ってくっから、な」
 独り合点で自転車の向きを変えて今にも走り出そうとする憲に、祐は慌てて言った。
「違う、別の所」
「なーんだ。内心ホッ、なーんてね。え、じゃ、どこなの?いいよ、代わりに取りに行ったげるよ。」
「……」
「どこ?どこ?ねえ」
 無邪気に問いかける憲にうまく答えられず、祐はまた膨れっ面で下を向いてしまった。


 達はそんな2人をしばらく眺め、憲に言った。
「じゃ、憲、俺ら先に帰ってよう。」
「え〜?!なにそれ〜。待ってようよ。祐と一緒に帰ろうよ〜」
「子供じゃあるまいし、一人で帰って来るさ、祐も」
「いや、そりゃそうだけど…、だって、せっかくさあ…」
 承服し難いという表情で自分を睨みつける憲を無視して、達は冗談めかして祐に言った。
「あんまり遅くなんなよ、まだ子供なんだから」


 祐は、俯いたまま歩き続けた。自分の発言に、二人が混乱しているのが感じられた。一人はひたすら近づこうとし、一人は我慢して距離を置こうとする…。どちらも祐には億劫だった。


 駅に着いた。達が祐に尋ねる。
「この近く?」
 祐は黙って頷いた。
「ついてってやっても良いんだよ」
「……いい……かったるい…」
 投げやりな口ぶりで,祐は言った。
 達は、ポケットに手を突っ込んで視線をそらせ、駅舎から出てくる人の群れを見やった。
「へえ、けっこうたくさんの人が下りるんだな、この駅。知らなかったぜ〜」
 明るい口調だが目には厳しい光が宿っている。その横には、唇を尖らせた憲が、心配そうにじっと祐を見つめていた。


「じゃ」
 祐は歩き出した。気まずい空気が流れる。何か言わなきゃいけないんだろうな。しかし、どういう態度を取れば良いのかわからない。ただただ胸が苦しい。ことばを飲み込む達の気配を背中に感じる。
 (何を言やあいいんだよ…訳わかんねえよ…)。
 五六歩進んで、祐はふと自分が憲のマフラーをしたままなことに気がついた。立ち止まり振返り、憲の顔を見る。心配そうに自分をじっと見つめたままの憲と目が合う。心がそのまま溢れ出してしまう目…。瞬きもしない。その目を、遠い昔に見たような気がした。



 俺は泣いてる、のかな。親父に叩かれたんだ。夜だ。憲が悔しそうに親父を睨んでいる。その目が俺を振返る…。心配そうな目、「泣かせてごめん」って訴えながら、自分の方こそ今にも泣き出しそうで、水分を含んでキラキラ光る目…。
 ……ベッドの毛布の手触りがする。あったかい。俺が泣いてると、毛布を憲がうんしょこらしょって引っ張って被せてくれたんだ。俺は何で泣いてたのかな?眠かったのかな?それとも…。わからない。でも、憲が被せてくれた毛布が暖かいから、なんとなーく眠たくなる。寝ちゃおうっと…。
 目が覚めると親父が憲を叱ってる。俺が、ベッドの上を涙とビスケット屑でコテコテにしちゃってるからだ。憲は俺を見ない。俺に背を向けて、じっと親父に叱られてる。暖かい毛布の中で、俺はまた泣きたくなる。憲の背中にくっつきたくなる。憲のそのちっちゃな手は、いつも不器用に俺の指を開いてそれからしっかり手を結んでくれる。
 親父が俺が起きてメソメソしてることに気づいて、今度は俺をぶとうとする。そうか、これが最初に繋がるんだ…。痛ぇ。でも平気。
 ……だって、憲にぃも叱られてるもん。ぼくも同じだもん。ぼく、憲にぃと同じがいいんだ。同じがいいんだ。なんでもかんでも、ぼく、憲にぃと同じがいい…。叱られるのも一緒,お風呂も一緒,同じ長靴,同じ半ズボン。だから、平気なんだ。憲にぃ、そんな目で見ないで。全然平気なんだよ。泣いちゃうけどすぐ忘れるよ。



 ……祐は笑っていた。
 何かを話さないといけないという思いが、嘘のように無くなっていた。
 小首をかしげてゆっくりとマフラーをほどく。憲から目をそらさない。
 笑顔と一緒に、憲の手にマフラーが渡された。
 マフラーを持つ手と持たない手が、軽くふれた。憲も、少し水分を含んだ目で微笑んだ。




 モジャは、部屋にいた。
 駅前の定食屋で食事をし、部屋に帰って熱い風呂を入れ、ゆっくりとお湯につかった。風呂から上がりテレビのスイッチを入れ、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出した。
 姿が見えないヒヨコのことは考えないようにしよう。正体もわからず、幻のようなヒヨコ、最初からいなかったと思えば良い…。
 こたつに入ろうとして、布団の下に一本のマフラーが紛れ込んでいるのに気づいた。いつもヒヨコが首にぐるぐる巻いていた、迷彩色の毛玉だらけのマフラーだ。
 …おいおい、最初からいなかったんじゃねえのかよ…。
 モジャはそのマフラーを部屋の隅に投げた。ヒヨコが放置して行った漫画本の上。しばらくそれを眺め、モジャは座布団をその上にドサッと被せた。


 その時だった。
 玄関のドアがかちゃりと音を立てた。思わずそちらに目を向けると黄色い頭。
 予期せぬことに、モジャは一瞬固まった。ヒヨコがこの家にくることはもう二度とないと思っていたから…。


 モジャは立ち上がった。一歩前に進む。
 会ったら言おうと思ってた事があったはずだ。だのに何も出て来ない。
 ヒヨコは外の冷気に頬をピンクに染め,パーカーのポケットに手を突っ込んで玄関に立ったままだ。じっと自分を見つめている。
「お前…」
 ことばを口に出した途端、感情の紡ぎ目がほどけた。モジャはヒヨコに歩み寄って、その細い肩を思わず抱きしめた。


「どこ行ってたんだ!ばかやろう!」
「う…、苦しい…。な、はなせよ、おっさん」
 ヒヨコは懸命にもがいて、モジャを押しのけた。
「…だいじょうぶ?おっさん」
「うるさい!どんだけ心配したと思ってんだ…。」
「…ごめん」
 謝罪のことばがヒヨコの口から洩れるとは思いもよらず、モジャは二度三度、瞬きをした。モジャはヒヨコから手を離し、その顔を覗き込んだ。ん?笑っている。ヒヨコが笑ってる。
 少し冷静な気持ちが戻ってきた。
「…あがれよ」
「うん」
 素直にヒヨコはこたつに潜り込んだ。
 そして、ぽつりと「なんか落ち着く、ここ」と言った。



 モジャは不思議な気分だった。確かに目の前にいるのはヒヨコに間違いない。しかし、刺を身体中にはり巡らせてピリピリとしていた姿、洗面所で声も無く涙を流していた姿、その後、放心状態でガキのようにおどおどしていた姿、そのどれとも違う、心を開いた素直な少年が目の前にいる。
「もうさ、勝手にいなくなんなよ。どんだけ探しまわったと思うんだよ」
「ごめんなさい」
「いや、謝んなくっていい。約束の時間に遅れたのは俺だし…。悪かった…でも、ずっと待ってたんだぞ」



 モジャとヒヨコはポツポツと話をした。いや、モジャが一方的に話し、ヒヨコはそれを黙って聞いていた…。飯は食ったのか、午後、どこに行ったのか…。ヒヨコはほとんど口を開かなかったけれど、耳を傾けているのがわかった。2人の間には、確かに会話が有った。
 2人が入れ違いに家に帰っていた事をモジャが告げると、ヒヨコは驚いた風で、少しバツの悪そうな顔をして上目遣いにモジャを見て,口の左端で微かに笑った。
 モジャはふとその表情に見覚えが有るように思った。そして同じような感覚が以前にも襲ったことを思い出した。(いまなら聞けるかな…)


「……お前さ、いい加減名前おしえろよ」
「聞きたい?」
「呼びにくいだろ」
「…祐…」
「名字は?」
「…いもと」声が小さい。
「え?」
「井本」

 モジャの脳裏にキャプテンの姿が浮かんだ。真っ赤のジャージを着て、いつも小さなグラウンドから空を見上げていた金髪頭の…。



「お前、もしか…」「ね,俺さ、マフラー置いてったろ?」
 2人のことばが互いのことばに被さった。
「…おう、そこにあるよ。ほら、座布団の下…」
「ああ、マンガも置きっぱなしだったんだね。」
 マンガとマフラーを引き寄せるヒヨコの姿を見て、モジャは尋ねた。
「…お前、どっか行くのか?」
「……」
「別にここにいてもいいんだぜ、俺はさ…」


 ヒヨコは少し困った表情を浮かべて黙り込んでしまった。
 その様子をしばらく眺めていたモジャは、クスリと笑った。そして納得したように言った。
「ま、帰る場所ができたのはいいことだ。よし、駅まで送ってやるよ」



 2人は駅までの道を歩いていた。
「家はどこだ」
「家には帰んない」
「家には帰らない?」
「うん」
「じゃ、どこに行くんだ?」
「…兄貴んち」
「…そっか、兄貴、ね…」
「ん…」
「一緒に住むことにしたんだ」
「とりあえず、だけど…」
「そうか…」
 ヒヨコはマフラーに埋もれた顔を少しねじってモジャを見上げた。
「あんたさ、どうして俺を家に置いたの?」
「え?どうしてかね…。なんとなくかな。お前、おもしれえし」
「は、おもしろかねえだろ」
「おもしれえよ。ガキなのに大人の振りして、寂しいくせにカッコつけて」
「寂しいだって?変なこと言うな!」
 ムキになって大声を出すヒヨコ。
「ふふ,じゃあ聞くけどね、寂しくないやつが、毎朝、律儀に泣いてたりするか?」
 笑いながらヒヨコの顔を見る。ヒヨコはふくれっ面をしてモジャを睨んでいるが、商店街の街灯の中、少し頬が赤くなってるのがはっきりわかる。
「でもね、俺はそんなお前が気に入った。見かけより正直だし、嘘もつかねえし。というか、そもそも口も聞かなかったか。はは」
「おっさん、変だよ…」
「おい、そのおっさんってのは止めてくれよ、そんなにお前とは歳離れてねえんだから」
「どうしてそんなことがわかんだよ!」
「だって俺さ、井本憲より一つ年上なだけだぜ」



「はあっ?!」
 心底驚いた顔をしてヒヨコはすっとんきょうな声を上げた。
「憲って…、お前、なんだよ、それ」
「え?お前の兄貴だろ」
「何でそんなこと知ってんだよ!」
「だってお前、そっっくりじゃん、井本にさ」


 2人は駅前の雑踏に立っていた。
 祐は目の前のモジャが憲の名を口にしたことに頭が混乱していた。何を聞けば謎が明らかになるのかもわからない。あっけにとられてモジャの顔を眺めることしかできない。



「おい、祐!」
 後ろから憲の大きな声が響いた。
 びっくりして振返ると、ニコニコ笑って憲が立っていた。
「俺、やっぱ、待ってたよ。時間も遅いしさ。あ、達ちゃんは、お前との約束だ、とか意地張って先に帰っちゃったけどね。ま,俺らが帰ったら、きっとラーメンでも作ってくれるよ。」
 このややこしい状況の中、達とラーメンが、祐の中で一つの像を結んだ。小学校の頃、達がよく作ってくれたワンタンメンの香りが突然蘇る。中学生になってた達は、祐には随分のお兄ちゃんだった。あまり話もしない。でも、夕方、達が作ってくれるそのワンタンメンはやたらうまかった!全部は食べ切れない。俺が半分、達が1.5杯。だのに、食べ終わるのは達の方がずっと早い。俺は一生懸命食べる。チュルチュルチュル…。そんな俺を、達はいつも笑いながら見てる。時々、おでこをつつかれたり邪魔をされる。でも俺は脇目もふらずに食べるんだ。必死だよ。達は頬杖をついていつまでも俺を見てる。焦りながら胃袋と一緒に心が温かくなる…。毎日毎日、それがずーっと続くと思ってた…あの頃の俺…。


「あ…」。我に帰って、祐は大急ぎでモジャを振返った。
 モジャは腕を組んでケラケラ笑ってる。その視線の先に憲。憲がその人物に気づく。メガネ越しの目がみるみる見開かれる。
「はあ?三上、おまえ、どうしてここにいんの?」
「はいはい。まあいろいろ有ったんだよ。さて、キャプテンの弟、確かに送り届けたからね。」
 そして、ヒヨコに向き直ってモジャは言った。
「今度、兄貴と一緒に遊びに来いよ。な。」



 夜空の中、二人乗りの自転車が風を切って走っていた。荷台に跨がる祐はすっぽりとマフラーに顔を埋めている。風は冷たいが、憲の背中に隠れているとそんなに寒くない。憲のメガネに町の灯りが映り込んでは、次次に飛び去って行く。鼻の頭が少し赤い。
「お前、三上と一緒にいたんだ…」
「ああ、あのおっさんね」
「どこで知り合ったの?」
「…ん…。説明すんの、めんどくさい」
 憲はそれを聞いて笑った。
「はは、おれらみんな、それぞれに結構いろんな過去を持ってるってことだね…」
「過去ってナニ?」
「…過去ねえ…さあ、何かね…未來にならないと過去はわかんねえってことかね」
 しばらく沈黙が流れた,自転車のライトの,ジーという音だけが耳に響く。


 祐が口を開いた。
「…そういうとさ、あんたんち、毛布ある?」
「ああ、あるよ、ちゃんとお前の分もあるよ」
「……」
「…毛布がどうかしたか?」
「べつに。何でもない」
「なんだよ、気になるなあ…(笑)」
「何でもないよ……でさ、今晩ほんとにラーメン食べるの?」
「ああ,達?保証するよ、絶対今晩はラーメンだよ。」
「…ふーん,何ラーメンかな?」
「え?妙なこと聞くねえ…ワンタンメンさ。あいつ、それしか作らねえよ」



 祐は憲の背中でにっこりと笑った。
 白い頬の二つの笑顔が風を切って走る。空には、大きな月。