今日のピエタ

ミケランジェロ「未完のピエタ」@ドゥオーモ美術館(フィレンツェ


 プロフ欄に貼ったのは、ホテル近くの教会にひっそりとあったピエタで、優しげなマリアの姿が印象的、薄暗い祈りの部屋の中で、こちらの心もしーんとする思いがしました。抱かれてるキリストの姿勢がエドガーを思い出させて…。それも心を打ちました。
 でも、フィレンツェで見た、ミケランジェロの「未完のピエタ」は、それとはとても趣の異なる作品でした。上の写真が、そのピエタです。1550年、ミケランジェロ(1475-1564))が75歳の時に、自らの墓のためにと製作を開始したそうです。


 通常のピエタでは、十字架から下ろされたキリストを抱くのは聖母マリアですね。バチカンサン・ピエトロ寺院のあまりにも有名な、やはりミケランジェロピエタも、若々しく美しいマリアがキリストを膝に抱く姿でした。その典型的なピエタ像に対し、この「未完のピエタ」でキリストを抱きかかえているのは、一人の老人です。聖ニコデモとされるその聖人は、想像通り、ミケランジェロ自身がモデルとなっているとされているようです。


 このピエタを、例の檻の中で、名を与えられる前のエドガーが、パーカー先生に抱きかかえられた姿を思い出しながら、眺めました。で、いろいろ考えました。


 もしも、あの檻の中の二人の姿をピエタだと仮定するなら、エドガーとして人間として「生きた」バットボーイは、パーカー先生の腕の中ですでに「死」(再生の前)の存在であった、ということになるのかもしれないな、と。境界を行き来したマージナルなエドガー。こちらの世界に引きずり込まれた時点で,ある意味では「彼岸」を越えていたんだし…。そして、舞台のラストで、パーカー医師が、「再度」彼を現実の人間としての死に至らしめたは、これは、彼を「再生」へと導いた、ということになるのかもしれない。とすると、その後、清浄な光の中スロープを登るエドガー、これは、「生から死」ではなく、「死から再生」への歩みを象徴したことになる。ただ、その再生は、もはや人間として与えられる再生ではなく,彼のその歩みの先にあるのは…。


 なーんて、またまたややこしい空想野郎でした。
 が、なんだか、あの舞台の根底にあった、ブラックな宗教的テーマを考えると、あながち荒唐無稽な説ともいえないかも、なんて気になるのが怖い(いや十分コウトウムケイだって:苦笑)。でもでもこの空想、これ以上やると大変なことになります。この辺りで止めるのが無難ですね。

「王様のブランチ」に、菊原さんと牧神が!


 リトルショップオブホラーズからみで健さんのサイトを覗いたらすごい情報がupされてました。
 今週の土曜日(24日)、山本耕史さんがゲストで出られ、そこに我らが健さんも登場されるのだそうです!大さんと三人で(つまり、KDearthと山本さんと)、う、歌われるとか♪♪
 わー、聞きたいよ〜。すてきだよ〜。KDearthの公式サイトでは、この三人でCD録音の計画が進行中とか☆なんてすてきなんでしょう!→ttp://www.kdearth.com/ (hを頭に補ってください)

 でも、この番組、関西でやってないのね。落胆…(涙)。